みなさん、こんばんは。
三上みひろです( ^ω^ )
タイトル通りです笑
今だから言える笑える話。
1年前まで、
キラキラ起業女子といいますか、SNSでキラキラしている人たちにムカついていました。
おしゃれしてホテルのラウンジでアフタヌーンティー?
たかがミーティングするために、なぜそんなに洒落たことしてるわけ?
お金持っているアピール?
ハイセンスアピール?
私たちは特別なんですアピール?
あああああああああ腹が立ってしょうがない!!!!
…当然ですが、この記事を書いているということは今はもうムカついたりしていませんよってことです。
というか
勝手にムカついてごめんなさい!
嫉妬して僻んでいただけでした!
そして、
自分の問題を外に転化していただけでした!!
この<自分の課題>に気がつけたのは、外からの一声でした。
私「キラキラ起業女子の投稿をみると、モヤモヤイライラするんですよね」
知人「いや、それただ僻んでるだけでしょw」
と言われて衝撃でした。
てっきり同意してくれて、自分たちの正当さでワイワイ盛り上がれるとおもっていたのに!
むしろ、言い咎められるという!
え?
だって、だってだって!!
私のこの気持ちには正当な理由があるんですよ?
私はレベルの低い商品を出したくないし…
雰囲気だけで購入してしまう人に憤りを感じていて…
そんな、<僻み>とか低俗な理由じゃないですよ??
と一生懸命自分の気持ちを弁明していたのですが、
今ならはっきりわかる。
あれはただの<僻み>です。
100%間違いないw
そして、自分、どれだけ上から目線で偉そうなんだっていうwww
やはり自分では気がつけない問題でも、外からは丸分かりだったり。
あとはその指摘を受け入れるか受け入れないかの違いですね。
知人からの指摘を受けた後、
キラキラした女性をみて、不快になってしまう…
そんな<超ダッサイ自分>を認めて、
そして<自分>ともっと向き合おう!!
と腹をくくったら、
いい意味でまわりのことなんて気にならなくなりました。
自分と向き合うって勇気いるのよねw
こんな自分知りたくなかった!!とかよくあるよ。
あんなに気になっていた
リア充アピール
や
女性性を活用した起業方法(?)
の投稿も目に入らなくなってきたんですよね。
「気にならないから入ってこない」
まさに宇宙の法則です( ^ω^ )
■キラキラ女子はみんな嘘つきだ!と思うのは、自分の人生が不満だらけだから
その当時、私は悩んでいました。
ブログのアクセス上がらない…
セミナーが満席にならない…
こんなにいいもの作っているのに!!
これがそもそも思い上がりなのに。
その一方で、
キラキラした人達は
月商7桁クリアしました!
セミナー即満席です!!
…ってなんでやねん!
私の方が本質的なもの売っているのに!
キラキラ女子なんて、
自分の生活のいいところを切り取ってるだけだろう。
※「キラキラ」と言われるようになってわかった。私の生活、ブランディング関係なしに本当にキラキラしてるわ。だから、他の起業家さんもそうなんだと思う。
※そして、自分の「ある」とか「目の前の幸せ」に注目しよう!とかいっていたのに、いいところを切り取ってSNSにアップすることに否定的って矛盾しているよね。聞いてるか、過去の私よ!
私の実力はこんなもんじゃない!
もっと評価されていいはず!
なのに、なんで評価されないんだ!
なんでみんなキラキラに騙されるんだ!
そんな
完全な思い上がり。
…恥ずかしくてシヌ。
ちっぽけな自分のプライドを守るために、
自分以外の人をジャッジして優越感に浸っていただけなのでした。
結局、
私は現状に不満があって
その一方で、簡単そうにうまくっている人がいて…
※これも勘違いなんだけど。
自分の現状を変えたいのであれば、
自分の声をきいて
在り方を見直して…
そうやって自分を軌道修正していくしか打開策はないのに、
全て外側のせいにして逃げていただけなんですよね。
全ては自分のありかたが世界に現れる。
だから、
<望む現実>が目の前に現れていないのであれば、
自分を疑う必要があったんです。
だけど、
自分を疑ったり、
自分を変える勇気もないから
キラキラ女子批判に逃げていただけだったんですよ。
■いつまで「自己保身」の小さな器の中にいる気なの?
「それって僻みだよね?」
と指摘された際に、私は最初は否定しました。
自分が
<僻み>
なんて低俗な感情を抱くなんて到底信じられなかったしw
だけど、
自分を深掘りすればするほど否定できなくなりました。
もしかしたらそうなのかも。
自分がうまくいっていないことがあって、
その一方で簡単そうにうまくやっている人がいると
私は<僻んでしまう>しょぼい人間なのかも。
そして、
楽しそうにしていたり、
幸せそうにしていていてそのアピールをされたら、
心のそこから一緒に喜んであげることができない
<器の小さな女>
なのかもしれない…。
と自分を疑ってみたんですよ。
めっちゃ嫌だけどw
でも、認めないから余計辛いんでwww
で、その前提で自分に問いかけました。
自分が本当に欲しい未来って何?
自分のしょぼさを隠して、
自己保身して、
キラキラしてみえる人たちを批判して、
本当に欲しい未来を選べると思ってる?
これからもそれを続けるの??
って自分に聞いてみたんです。
答えはもちろんノーでした。
キラキラしている女性を否定して得られるものって
マジでしょぼい自己満足だけだし
その一方で
自分のクリエイティブさとか、本当の満足感とか信頼とか親密感とか…
そういった私が本当に欲しくて、私の人生に本当に必要なものを得るチャンスを逃しているわけです。
私はそんな人生は嫌だって思ったんですね。
だから、
<嫉妬>
<僻み>
は積極的に手放そうと決めました。
あ!
それでも簡単に
●嫉妬しやすかったり
●僻みやすかったり
●イジケやすかったり
するのはゼロになったりはしないので、
そんな感情が湧いてきた時に、
まずはその感情を疑って、手放すかどうか決めようーと決めたんです。
感情は否定せず受け入れつつ
本当に欲しい未来はどっち?
と必ず尋ねるようにしたわけです。
●他人を否定してしまう
●他人に対して不快になる
●自分のやり方が正しくて、相手は間違えている
そんな気持ちを抱く自分を否定するつもりはさらさらないです。
だって人間ですから。
生きていたらそんな気持ちが沸き起こったり、自己保身に走っちゃうことももちろんあります。
でも、
それって本当?
本当の自分はそこで私に何を教えたいの?
本当の私が望む未来はそこにあるの?
と疑ってみることにしています。
気がつけるから、認められる。
認められるから、手放せる。
手放せるから、新しい未来が広がるんです。
そんな私のしょぼい過去の話でした。
自分の汚いドロドロした部分を認めるからこそ、他人も受け入れられるようになります。
自分のクソ人間度合いにびっくりするかもしれないけど、みんな本質は同じなので。
そこを認めるか認めないか。
手放すか手放さないか。
違いはそこだけですから( ^ω^ )
さて、本日はここまで。
三上みひろでした\(^o^)/