こんにちは、三上みひろです。
【記事の内容】
質問:夢中になれることもなく、毎日の時間を無駄にしているようで焦ります。
仕事をして、帰宅したらダラダラとSNSをみて、気がついたら夜中で…そんな感じで退屈な時間を潰すような感じで無駄にして過ごしています。
「時間が何よりも大事」と言われてもピンときません。
なにか熱中できることや夢中になれる趣味に出会いたいと思っているのですが、どうやったら出会えるようになるでしょうか。
回答:好きなこと探しは、部屋のなかで宝探しをするのと同じです。
楽しいことが見つからない理由は2つ。
1つは「嫌なことを我慢するのが当たり前になっている」から。2つめは「失敗や損を怖がっている」からです。
そこで状況を改善するためにやることは
- 嫌なこと、我慢していることをやめる
- 「人生で体験することは全て喜び」と人生観を変える
①、②の順番で進めていくといいでしょう。
我慢して嫌々やっていることをやめる
自分の部屋から宝物を探すのと「好きなこと探し」は同じようなものです。
宝探しをするときに、まずは「宝物ではないもの」を捨てると発見しやすいですよね。
それと同じで、自分の日常から「好きじゃないもの」を排除していくと、最後には「好きなもの」が残ります。
とはいえ!
「好きじゃないものを全て排除しましょう!」と言われても、ピンとこない人も多いと思います。
以下の手順で進めていくのがおすすめです。
- 苦手だしイヤだけど、我慢してやっていることをやめる
- 出来るけどイヤだと思っていることをやめる
- 好きじゃないけどなんとなくやっていることをやめる
- 他人から求められているけど好きじゃないことをやめる
部屋の掃除をしたときをイメージしてみて下さい。
一箇所を綺麗にすると、今度は周りが相対的に汚くなりますよね。
そうすると、最初は気にならなかったのに気になって、ここも掃除するかな!となることってありませんか?
それでちょっと掃除するつもりだったのに、ついつい掃除にのめりこんで本気モードになってしまい、気がついたら一日が終わっていた…なんてことも…
脱線してしまいましたが。笑
好きなこと探しも、部屋の掃除と同じ。
ひとつ「好きじゃないこと」をやめてみると、今まで気にならなかったことが気になるようになります。
- 「嫌いじゃない」と思っていたけど、実は嫌いだった
→やめる - 我慢しているつもりなかったけど、実はものすごく我慢していた
→やめる - まあまあ好きだと思っていたけど、全然好きじゃなかった
→やめる - 好きだと思っていたけど、嫌いじゃないだけだった
→やめる
これを永遠と繰り返していくと、純度の高い好きが残ります。
最初から「好きなこと」を探そうと思うと難しいのですが、
生活から不純物を取り除いていくようなつもりで日常を濾過していくと、
「高純度の好き」が残るので簡単に発見できます!
人生観を「全ての体験は喜び」に変える
高純度の好きを発見したら、次にやるのは…
面白そうと感じたことをやってみる。
これだけです。笑
楽しそうと思うことをやってみる → 楽しいと思ったらもう一回やってみる → ……
これを繰り返していくと、気がついたときには「夢中になれるものが見つかった!」状態になっています。
だから夢中になれることに出会いたいと思うのであれば、「楽しそう」と感じたことに一歩を踏み出してみることが必要です。
「好きの純度」が高まった状態だと、面白そうなこと、興味のあることへの感度も高まった状態になっています。
が!ここで落とし穴があります。
落とし穴というのは
絶対に損したくない!!
という気持ちです。
- 絶対に楽しめるならやるけど、楽しめない可能性があるならやらない
- お金や時間のコストを計算して「リーズナブルな方法」にこだわる
- 頭の中でイメージして「だいたいこんな感じでしょ」とわかった気になり、満足してしまう
- 「どうせ楽しいのは最初だけで、飽きてやめちゃうかもしれないし」と最初から諦めてしまう
- こんなこと本気になったとしても、人生の役に立たないし…と考えてしまう
損したくないという気持ちがあると
行動にブレーキがかかってしまいます。
事実として、楽しいか楽しくないかはやってみないとわかりません。
想像していた以上に楽しいか、期待外れだったかはやってみない限りわからないのです。
だからこそ、この「損したくない」という気持ちのブレーキを緩める必要があります。
では、この「損したくない」の根底にあるのはなんなのか?
ブレーキを緩めるにはそれを知る必要があります。
損したくないの根底にあるのは、「損したら負け。得したら勝ち。」という極度な二極思考です。
楽しい=得=勝ち
楽しくない=損=負け
ただ冷静に考えると…
損を怖がって動かない方が「結果的に損している」んですよね。
楽しくない経験をしなくて済む代わりに、楽しい経験のチャンスも同時に逃しているからです。
「損したくない」と思って、挑戦もせず、同じような毎日を繰り返しているほうがよほど「損」です。
楽しくない可能性はゼロにはなりません。
どんなに精査しても、楽しくない可能性は残り続けます。
楽しい経験は、楽しくない可能性(損する可能性)を引き受けるから可能になります。
とはいえ!
頭ではわかっていても!
それでも「損する可能性があるならやらない」を選び続けてしまうのが人間です。
わかります、私も同じです。笑
「損するのは嫌」
もうだったらいっそのこと
人生で体験することは全て喜びである。
ということにしちゃったらいいんです。
それでOK!
考え方の転換です。
損するのが怖いのは「損する体験」と「得する体験」に分けて考えているから。
「損」も「得」もなし。
すべてを「損も得も体験は喜び」にしてしまえば問題解決です。
「人生のすべての体験は喜びである」
この言葉は嫌なことや辛いことを誤魔化すための言葉ではありませんの注意してくださいね。
挑戦したいこと、体験したいことがあるけど「失敗や損が怖くて動けない…」というときに使う言葉です。
まとめ
思い出せば5年ほど前、私は無趣味人間でした。
絶賛婚活中だった私にとって、一番の苦痛は
「趣味はなんですか?」
「休日は何をして過ごされていますか?」
という質問。
本当に答えることがなくて苦痛でした。笑
顔も洗わず、ベッドの上から1ミリも動かず。
お腹が減ったら冷蔵庫にストックしてある焼き芋を食べるだけの生活。
(お米を炊くのも面倒くさい)
…本当に答えることがなかったし、むしろ答えない方がよさそうな生活を送っていました。
ビジネスを始めた頃、平日は睡眠時間3時間で、休日も寝る時間以外全ての時間をブログに費やしていましたが、これまで楽しいこともなかったのでハマれるものが見つかって嬉しかったんですよね。
もしあのときに損得を考えて、「私にはブログの才能ないかもしれないし、そこそこ頑張る程度にしておこう」と思っていたら、今の私はいなかったと思います。
今思い返せば、あれが「損得を抜きにしてやりたいことをやる!」の最初の体験でした。
「結果はどうなるかわからないけど、今やらないと何も変わらないことだけわかる!」
「もしブログがダメだったとしても、ここで真剣にやればこの経験は必ず次につながる!」
そういうマインドで取り組んでいましたね。
好きなこと、夢中になれることがあると人生はますます輝きます。
そのために必要なことは2つ。
- 嫌なこと、我慢していることをやめる
- 「人生で体験することは全て喜び」と人生観を変える
②の「人生で体験することは全て喜び」と人生観を変えるは最初のうちは意味不明かもしれません。
意味不明だとしても、意味不明なまま「そういうものなのかも?」という感じで受け取ってくれたら大丈夫です。
楽しいか、楽しくないか、それはやってみないとわかりません。
行動を躊躇してしまうとき、興味があるのに損得で考えて動けなくなってしまったとき、そういうときに「どうなったとしても全ては喜びになるとしたら?」と自問自答に使ってみてください。
これを習慣化すると、確実に行動力が増し増しになり、人生で体験できることが増えます。
私も実際、3倍くらいなった実感があります。
そうなってくる頃、この言葉の意味が理解できると思います。
なのでまずは、半信半疑でやってみる!ですね。
応援しています。
三上みひろでした!