こんにちは。
三上みひろです。
今回は「コンプレックスを解消する簡単な方法」をご紹介します。
とても簡単です。
あなたがコンプレックスだと感じていることに対して、「なぜそう思うの?」と繰り返し聞き続けていくだけ!
はい、簡単( ^ω^ )
繰り返し、繰り返し聞き続けると、あるところで発見があります。
コンプレックスは”くだらない”ということに。
実際に私が体験した例でご紹介します。
私は学歴コンプレックスをもっていました。
どの程度かというと
- 出身大学が私よりも偏差値が高いとペコペコしてしまう(急にYESマンになる)
- 出身大学が私よりも偏差値が低いと横柄な態度を取ってしまう
- 偏差値が低いのに幸せそうだと「どうせ見せかけだけでしょ」とディスってしまう
- お付き合いする男性は旧帝大卒業以外は不可
私は自分の学歴が低いことを気にしていました。
そして、”学歴”という軸で他人と自分の立ち位置を常に競走していました。
学歴が上の人には気に入られたいからYESマンに。
学歴が下の人には舐められないように横柄な態度を。
すべてコンプレックスが原因です。
しかし、こんな生き方をしていて楽しいはずがありません。
常に他人と勝ち負けを争い、馬鹿だと思われていないかビクビクし、そんな生活に嫌気がさしました。
そしてそれをやめたいと思ったときに【原因は私の学歴コンプレックスである】と気が付いたのです。
では、どうやってこのコンプレックスを解消するのか。
10年以上続けてきた熟成もののコンプレックスです。
はい、やめた!といって簡単にやめられるわけない…と思っていたら、簡単にやめることができました。
方法は簡単です。
「なぜそう思うの?」
そう自分にひたすら聞くだけでした。
私は自分の学歴に自信がない。学歴がないからダメな人間だと思ってしまう。
「なぜそう思うの?」
学歴が高い人は偉い。地頭ががいいとは限らないが、勉強ができるという点では頭がいい。受験勉強を乗り越えるだけの計画力と自己管理能力もある。計画力と自己管理能力も頭の良い証拠。
学歴が低い人はその反対の証拠。
18歳の遊びたい盛りに自分をコントロールして勉強できるなんて、それだけで尊敬に値するし、やはり頭がいい。スタンフォードだかどこかの大学で、「頭がいい人は未来のために努力できる」という実験結果あると聞いた気がするし。
「それで?」
学歴が高い人はそれだけで私よりも上の存在。私はダメな人間だけど、そんな上の存在の彼らに「学歴はないけど十分あたまいいと思うよ」と言ってもらえると安心するし、言ってもらいたい。だから相手の話に合わせてしまう。「この人、はなしわかるじゃん!」と思われたい。
「頭いいと思われたいのはなぜ?」
なぜ…?なぜって…馬鹿だと思われたくないから。
「馬鹿だと思われたくないのはなぜ?」
ばかだと思われたくないのは馬鹿だと思われたくないからだよ!
「誰がそう思うの?」
誰…?他人かな。世間一般とか。書籍とかにも「バカは損する」的なことを書いてあるし。
あれ、でも待って。馬鹿は損するとしても(知らないと損することはこの世にいっぱいあるし)、馬鹿だと思われることは損なのか?というか、誰にバカだと思われたら困るの?
「誰がそう思うの?」
みんなそう思っているはず。バカはダメだって。バカは損するって。
高学歴=頭いいというわけじゃない論をみかけることあるけど、それって重箱のすみをつつくようなものだと思う。実際、大企業も国家Ⅰ種も難易度の高い国家試験も高学歴の人が多いし。高学歴な人は頭がいいんだよ!!
社会で重用される立場にいるのだって高学歴な人が多い。それが証拠じゃん!
(中略)
頭の中が大混乱しているのがわかりますね。笑
ジャッジと差別意識が酷すぎて、気分が悪くなった方がいたら申し訳ありませんm(_ _)m
ただこれがコンプレックスまみれだった頃の頭の中です。
またこれだけ書き出していくと、”真実”がなにもないことに驚きます。
「世間でよく言われているから」「なんとなくそう思うから」がほとんどで、たまに「数字的な事実」がでてきたとしても、それがコンプレックスにつながる根拠としては弱すぎます。
ノートに書き出すことで辻褄の合わない考え方をしているところがはっきりとみえてきます。
こんな根拠のないことで自分の価値を下げ、無駄に悩んでいたのかと思うとショックでした。
思いつくままにどんどん書き出して、自分の考えにツッコミをしながら思考を深めます。話が飛んでしまっても大丈夫です。思いついたままに考えを深めていきます。
(中略)
「”頭がいい”ってなに?」
頭がいいっていうのは、自分で問いを立てて、それに対する解決案を出せること。
高学歴の人は「受験を成功させる」というゴールに対して、自分の問題点を抽出して解決案をだしてをやってきている。セルフコントロールに長けているってことだと思うから、その時点て頭がいい。
私にはそれがなかった。そして、今もない。
「誰がどんな基準で決めるの?」
…ないかも。人による。なにをみて頭がいいと感じるかも人それぞれだし、どの程度で頭がいいと感じるのかも人それぞれだよね。
「私は誰に頭がいいと思われたいの?」
自分よりも高学歴な人。高学歴な人に認められると頭いい人の仲間入りした感じがするから。
「そのために今やっていることはなに?」
YESマンになること。
「その結果どうなっているの?」
結局、自分の意見がもてないまま。
そのせいで、自分のなかの”頭がいい人”の定義からもずれている。
自分の意見をもっていても、偉い人や高学歴な人が違う意見を言っていたら、すぐにそっちにすり寄って意見変えちゃうんだもん。そんな自分も嫌。
…(しばらく続きます)
ああ、私、まったく今をみてないな。
過去にこだわって、他人が持っているものと比較して…
今、この瞬間、私は自分のなりたくない”自分の意見のない人”を爆進中だ。
バカだと思われたくなくて学歴にこだわっていたのに、学歴にこだわっているせいでバカになっていたのか。(ガーン)
コンプレックスを解消するというと、”克服”のイメージがあると思います。
例えば外見にコンプレックスがあれば、ダイエットを頑張ったり、メイクが上手になったり、ファッションを変えてみたり…そうやって克服していくものというイメージがあるかもしれません。
でも、コンプレックスは「なんてくだらないんだ!」と気がついたら解消されます。笑
私の場合はとくに、コンプレックスにこだわりすぎて、逆にコンプレックスを強めていました。
そのことに気がついたら「くだらない!」と思うことができ、コンプレックスが一気に解消されました。
そもそも私は
- 自分の人生に目的をもちたい
- 自分で問いを立てて、解決できる人間になりたい
- 自己管理ができるようになって機能的に生きたい
という理想の人物像があって、それを”高学歴”に投影しているだけだったんですよね。
私が高学歴だったらきっとこれらを手にできていたはずなのに!
といったような感じで。笑
そのことにも気がつかず、学歴コンプレックスに縛られていました。
こだわることで何か得があるような気がしていたんでしょうねー。
コンプレックスを持ち続けることで「私、自分の頭の程度、弁えてますから。ちゃんと自分のこと許さずに責めていますから。だから許してください」と、目にみえない支配者に存在の許可を求めていたような気もします。
今回のように思考があっちへこっちへいくこともあります。
ノートに書き出しても悩みの本質がズバッと現れることばかりではありません。
それでも自分の頭の中を言葉にしてみるといいでしょう。
- あやふやな言葉で悩んでいるな
- 悩みと悩みがこんがらがって事を難しくしているな
- 本当に私が求めていることと、コンプレックスはまったく関係ない
- それどころか、コンプレックスにこだわるせいで、私が求めていることから遠ざかっている
そう自覚できると思います。
自覚できたら「それでもコンプレックスをもつこと」を選び続けるか、もうやめるかを決めるだけ。
私はくだらないと思ったので、手放しました。
コンプレックスは「くだらない」と思えたら手放せます。
ぜひノートしてみてください。
応援しています!
三上みひろでした。